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里にこそ「生きもの田んぼ」

「生きもの田んぼ」(ビオトープ)づくりをしています。「自然が豊かなはずの里山になんでビオトープ?」と首をかしげる人がいるかもしれません。

 

現在の米作りは棚田といえども、機械なしには行えません。平地のように大型のコンバインは使えませんが、小型の田植機、バインダー(稲刈り機)、ハーベスタ(脱穀機)など最小限の機械は使っています。
そのため、棚田でも機械が入りやすいよう冬場、完全に水を切ってしまう乾田化が進んでいます。稲刈り前の10月上旬から翌年の田植時期の6月初めまでの間、田んぼには水がありません。


いま、全国でトノサマガエルや山赤ガエルの数が急激に減っています。山赤ガエルは11月、トノサマガエルも早春には産卵を始めます。以前、主要な産卵場所であった田んぼにこの時期水がないのです。
トノサマガエルは福岡県では絶滅危惧1類(いないと同じ)、鹿児島県でも準絶滅危惧種(見かけることが困難)となってしまいました。
ナツアカネやアキアカネなど田んぼの環境に合わせて繁殖してきたトンボ類も数を減らしています。これらの、主な原因が田んぼの乾田化です。
ウスバキ羽化 カエル卵 トノサマガエル

(写真左から稲の葉で羽化する薄羽黄トンボ、赤ガエルの卵塊、殿様がえる)


そこで、「生きもの田んぼ」です。
これまでも触れてきたように、この場所は20年以上耕作さていない田んぼあとでした。山からの清水もあって雨が多い時には、水たまりが拡大し、少ない時には縮んでなくなってしまうこともある、という場所です。また、最近は葦やススキなどの背の高い草に覆われつつあり、乾燥化が進行していました。

隣は10年以上放棄されていたのを藪を払い、畔を作って再生し、この7年間手作業による無農薬栽培(合鴨も入れてない)を続けている田んぼです。幸い?この田んぼに、冷たい湧水が湧きだしており、この湧水を「生きもの田んぼ」の水源とすることができました。

里は人が農耕を通じて自然に働きかけることで、作られ維持されてきた生態系です。人が田んぼや畑を作り、炭焼きや薪取り、堆肥づくりなどのために山に入ることで多様な生き物たちの世界が維持されてきました。(生態学でいう中程度撹乱仮説)
漆里山 


生産性に偏った近代化農法では生きものたちのことは忘れられてきました。時には邪魔者扱いさえされてきました。生きものたちの息遣いがまだ聞こえているうちに、この里で「生きものたちと共存する米作り」の技術を確立しなければならないと思います。

適切に自然に働きかけ、管理することで多くの生きものたちの生きる場を確保していく。この「生きもの田んぼ」はその実験場でもあります。            (空)


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ブルー・ハーツって親鸞を歌ってたの

B・ハーツ


ドブネズミみたいに美しくなり~たい
で始まる“伝説のバンド”ブルー・ハーツの歌「リンダ リンダ」。
バンド結成25周年で2月末に発売されたアルバムを聴いていて、私はちょっとすごいことを発見しました。
昔からたぶん100回以上は聴いているこの歌なんだけど。
今回あらためて聴いているうち、ここ何か月かはまっている「歎異抄」との共通性に気づいたのです! (歎異抄とは、親鸞の教えを弟子が伝えた書物です)

まずどちらもわかりにくい、すっと頭には入ってこない。しかし、不思議な魅力があって何度も何度も聴いてしまう、読んでしまう。心とらえられてしまう。
そして
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」と
「善人さえ救われるのだから、まして悪人が救われないはずはない。悪人は救われるべき存在なのだ」という逆説的な言葉。

そして「愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ」
これは歎異抄が説く「阿弥陀如来の本願の救いの力」と言えるものでは!

そして繰り返されるリンダ、リンダ、リンダのフレーズ。
これは、なむあみだぶつと同じ意味合いのものなのではないですか!

とまあ、こんなふうに、楽しんでいるわけです。

ところで、親鸞は「海川に網を引き、釣りなどの漁業をして暮らすものも、野山に鹿・猪・鳥を捕っていのちをつなぐものも、商いをしたり、田畠を耕して生きるものも」、それらの「殺生」行為を「悪事」と位置づけておられます。すなわち、魚や肉を食べる行為、生きる行為とはそういうことだと思いいたるべきなのでしょう。       (風)

いよいよ「生きもの田んぼ」づくりです

 さてさて、「生きもの田んぼ」づくりの作業報告です。
場所は前述の通り棚田の一角、もう20年以上も耕作されていない田んぼ跡です。広さは3畝(90坪)ぐらいでしょうか。

 
まずは2月初旬、日ごろから草花調査なども一緒にやっている、NPO法人・くすのき自然館からT氏とN氏にも参加してもらって現地調査を行い、大まかな設計図を作成しました。池の形に沿って、竹を立てて行きます。掘るときの目安とするためです。 
bio2.gif bio3.gif    


3月中旬、いよいよ作業開始です。結構大きな池となりそうなのでユンボを借りてきました。ところがスタッフの中に、だれもユンボを操作できるものがいません。何となく私がやることになってしまい、試行錯誤、悪戦苦闘、艱難辛苦?見よう見まね、成せばなる、冷や汗をかきながら何とか操作できました。
他のスタッフは私がかなり大雑把に掘った穴の周りを、スコップや鍬で整えていくという手順です。 
bio4.gif bio作業1 bio作業2 

田んぼ跡ですから、耕盤(水漏れを防ぐ地盤)がもともとあるので、水漏れの心配がありません。ただ穴を掘りさえすれば池になるということです。

びお説明  

上の写真の「田んぼ」と書いた部分は、隣の田んぼに中畔を作って“ビオトープ”の一角としたところです。ここは水路(ピンク)に近い部分にかなりな水量の湧水があって、そのために夏でも水温が低く、稲の生長が悪い所でした。こんな事情もあってもともとの田んぼと切り離すのと同時に、水路で池とつないで水の流れを作り、池の水量も確保する狙いです。

bio7.gif bio8.gif

写真でもお分かりのように、池は水深が場所によって変わるように作っています。田んぼの水深は10cmぐらい、池は10~60cmぐらいでしょうか。

bio作業3 bio作業4 谷川

この場所は前述のように田んぼ跡です。ところどころに水溜りがある湿地帯のようになっていて、イモリやトンボのヤゴ、カエルなどが住処にしていました。しかし、渇水期には水がなくなります。こんな時、生きものたちは隣の田んぼに避難していたようです。そこでここに水を引いて常に水がある状態を保ち、周辺の田んぼや隣を流れる谷川(写真の右側)などと一体のものとして、生きものたちの住処にしようとしたのです。

もちろん、糸トンボが産卵に使うなど葦などが生えた湿地も大切な場所ですから、かなりな部分を残しています(写真左から下にかけての部分)。

6時間ぐらいでこの日の作業を終えました。今後は池の中に小さな生き物が逃げ込める石組みや木組みを沈めたり、木道を設置するなどの作業を進めるつもりです。

 

僕らの「生きもの田んぼ」にどんな生きものたちが住みついてくれるのか。今から楽しみです。今後とも時々、様子を報告していきたいと思います。お付き合いください。

bio完成 

 

  

ビオトープ?生きもの田んぼ?

ビオトープ作りを始めました。場所は作人塾で管理している棚田の一角です。と、ここまで書いて「ビオトープ」という言葉に、何となく違和感を覚えるというか、引っかかりを感じてしまいました。
「ビオトープ」とは、よく知られているようにドイツ語の生命をあらわす“bio”と場所をあらわす“topos”の合成語です。要するに生き物たちの住処のこと。
ネットで調べるとありとあらゆる「ビオトープ」が出てきます。中には衣装ケースに水と買ってきた金魚やメダカ、水草などを入れてベランダに出しておく「ベランダビオトープ」なんてものもありました。これなんか、金魚鉢とどこが違うのでしょう。

bio6.gif

私たちが作ろうとしているのも、生き物たちの住処という意味において確かにビオトープです。ですが、私たちが目指しているのは田んぼとため池、その二つの止水域をつなぐ水路(流水域)などが一体となったもの。生き物たちにとって最も重要な生育環境である田んぼとその田んぼを巡る多様な水環境を整備しようとするものです。金魚鉢ではありません。

では、ビオトープに代わる言葉はあるのでしょうか。日本では、古くから谷間の低湿地を「谷地」「谷津」などと呼んできました。「谷地田」「谷津田」はそこに作られた田んぼです。でも、これらの言葉では生き物の生息環境という意味が薄れてしまうような気がします。

「生きもの田んぼ」なんていうのも考えました。これが今のところ、僕らの意気込みに最も近いかな。
米作りが目的ではない、と言ったら言い過ぎでしょうか。もちろん田植をするのですが、米よりも生き物たちがたくさん住んでくれることを目的とした田んぼづくり。それとその周辺の環境づくり。

どうせ「ビオトープ」も合成語なのですから、僕らも「生きもの田んぼ」という造語を胸を張って使うことにしたいと思います。
さて、「生きもの田んぼ」づくりです。長くなったので作業の様子は次回に報告します。

うちで好きな場所、好きなもの

焚き口

2001年に私たち家族が、ここ漆に引っ越してきて9年目に入りました。
今の家で私が一番好きな場所はお風呂です。薪で沸かす風呂。遠赤外線効果でじわっとあったまって、ぬくもりに芯があるという感じがします。冬の寒いときにつかって体のこわばりが抜けていく感触は、ちょうど豆腐の四角い角がほろほろ崩れていくような。

風呂をたくのも好きです。初めのうちこそ、火を燃え上がらせるのに苦労したけれど、慣れれば簡単。杉の葉を導入剤に、小枝で火をふとらせて、その上に手ごろな大きさの薪を何本か入れておけばいいのです。焚き口を閉めると、空気穴から入る空気が火を刺激してドッドッドッと音を立てて(蒸気機関車のごとく)勢いよく燃えていきます。この家に来て、それまでの町の暮らしがいかに火から遠ざけられた暮らしだったかをつくづく思いました。

この家で気に入っているもう一つは水です。水道の蛇口をひねると、電動ポンプでくみあげる井戸水が流れ出てきます。涸れたことはありません。

町に住む母が言います。「漆でとれたお米をマンションの水でたいたご飯と、漆の水でたいたご飯の味の違いにびっくりする」と。土地の水で育った米を、土地の水で食べる。それが最もおいしい食べ方であるのは言うまでもありません。そんなご飯を毎日食べることができるって、なんて贅沢なんでしょう!!

思えば、ここでの暮らしはお様に恵まれ、を愛で、を取り入れ、の恩恵に浴し、樹に囲まれ、に農作物は助けられ…。1週間のうち、欠けているのはだけだあ~~!
                             (風)

ムギを眺める

ムギ顔2 

わが家の庭先にはムギという名のヤギがつながれています。トカラヤギのオス。

「寄れば突く 山羊の挨拶 草紅葉」というだれかの句がありますが、まさにこちらが近寄れば、頭を低くして角を突いてくる(ヤギの角って触ると温かい!)。じゃれてるんです。だって小さなしっぽを本当にちぎれんばかりにフリフリしていますから。
うちでは犬も猫も飼っているけど、私は、ムギを眺めていると、犬猫には感じない「禅的なもの」を感じるのです。なぜかなあ。人間に飼い慣らされて人間の意向をうかがうような愛玩動物ではなく、野生に近いからかな。
ムギ顔3 

ムギが一心不乱に、がしがし、がしがし音を立てて青菜を食べる様子を見ていると特にそう思うのです。
そこに命の本体がある。ねたみも甘えもないし、自分を良く見せたいとか意地悪したいとか、あれがほしいこれがほしいとか、長生きしたいとか…あらゆる煩悩から遠く遠く離れたところで、ただ生きる存在。「全的いのち」とでも言うのか。


もっとうまく言い表せる言葉はないかと、「禅的生活」(玄侑宗久著)を引っ張り出してみました。仏の御命、無位の真人、真実の命、命の本体…。「われわれは感覚器を通して情報を入力し、それを価値判断し、好きとか嫌いとか思う生き物。そうした抜きがたい妄想をぬぐいさったところ、いやそれらが生ずる前のところ」に位置するもの。

ムギ顔 
ただ生きる。それでいいのさ。ムギが私に教えてくれること。(風)

ムギもご機嫌

ポット苗  雪景色

今日午前中までに、残りのナス、ピーマンなどの鉢上げをすべて終えました。白ナス350本、ピーマン(京みどり、ワンダーベル)100本、黒ナスの筑陽と黒陽合わせて100本、トマト(麗夏)150本、(桃太郎)100本など。ご近所から頼まれた苗も一緒に作っているのでかなりな数となりました。

ふぐり  
今日はきのうの荒れ模様(南国・鹿児島でも吹雪となりました)が嘘のような好天です。ハウスの中は25~30度、シャツ一枚で仕事をしていても汗ばむほどです。やっぱりお日様は有り難い。
ハウス横の草地では、オオイヌノフグリ(別名、星の瞳)がそのコバルトの瞳を精いっぱい見開いて、空を見上げています。山羊のムギ(名前)もポカポカ陽気でご機嫌です。
むぎ 

こんな晴天がせめて3日も続いてくれると、畑仕事もはかどるだろうに、また明後日からぐずれるという予報です。キャベツやレタスの苗もだいぶ大きくなって、早く定植しなければなりません。私もしばらくは空を見上げる日々が続きそうです。

いぬふぐり 星のまたたく 如くなり   虚子

トマトの鉢上げをしました

トマト苗 トマト鉢上げ 

きょうは育苗用ハウスでのトマト苗の鉢上げ、稲の苗箱で芽出しをしたものをポットに植え替える作業です。は種(種まき)は2月16日だったから、ちょうど3週間目。このところの長雨(菜種梅雨?)による日照不足ですっかり徒長してしまいました。長いものは15cmぐらいはありそうです。

長くなった苗は鉢に深く植えていきます。すると土に触れた茎からも根が出て、最初から頑丈なものより、むしろ丈夫に育つのです。

畑への定植は4月下旬の予定です。あと一月半は苗の管理が続きます。

天気予報では明日も雨。残りのナスやピーマンなどの鉢上げをするには絶好の天気といえましょうか。

苗鉢 

黄色あふれる里の春

菜花  

うちの畑でトウが立った白菜に咲いた菜の花を、少し切って、玄関前に飾りました。
春の黄色い花と言えば、菜の花、レンギョウ、タンポポ。福寿草やマンサクというのも。 それらをとりこんだ句や短歌もたくさんあります。

タンポポといえば、こんなのが。

たんぽぽの ぽぽのあたりを そっと撫で 入り日は小さき 光を収(しま)ふ    河野裕子
  

たんぽぽの ぽぽのあたりが 火事ですよ            坪内稔典
   
 さて、ぽぽのあたりって、どこでしょう。それが気になって印象的な作品です。
 
でもタンポポの句では、これとは別に私の愛唱句があるのです。
   

若くない 美人でもない たんぽぽ黄     近藤千雅
 

坪内稔典さんが新聞で紹介してました。坪内さんの解説はこうです。「若い花という感じではない。美人でもないだろう。でも、その黄色はまさにたんぽぽ色。たくましく鮮明で、まるで私みたい、という句」
タンポポ  

40歳過ぎて出合った句だから、うんうんとうなずけたのかもしれません。鏡を見ると、口のまわりのしわも、ほほのでっぱりのしみも、日々増えていくお年ごろ。でも今の自分はけっこう好きだな。しわの増加速度を抑えようと、あごを上げて、風を切って歩く。笑ったり泣いたり場数踏んでるから、こわいものはもうあまりないよ。たんぽぽみたいな黄色、そう、その色。まるで私みたい。「いいじゃないですか、私」! 

里に黄色があふれる春を楽しみましょう。    (風)

今月の野草調査

今月の野草調査は以下の日程です。

●3月14日(日) 9:00~「うるし里の朝市」前

いつもの身支度、いつもの探究心で来てください。一般の参加も歓迎します。
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プロフィール

sakunin

Author:sakunin
里ミュゼのミュゼはミュージアムの仏語。季節の移ろいの中で様々な表情を、鮮やかに見せてくれるこの「博物館」の風景、生きものたち、人々の暮らしを伝えたいと思います。

NPO法人うるし里山ミュージアム
鹿児島県姶良市蒲生町漆780
tel/fax 0995-54-3902
satomusee@gmail.com

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